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最高裁判所第三小法廷 平成10年(行ツ)191号 判決

兵庫県西宮市桜町三番四号

上告人

上山英志

右訴訟代理人弁護士

太田耕治

金子武嗣

東京都大田区雪谷大塚町四番一二号

被上告人

雪谷税務署長 佐々木正男

右指定代理人

山岡徳光

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(行コ)第一六九号相続税更正処分取消等請求事件について、同裁判所が平成一〇年三月三〇日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人太田耕治、同金子武嗣及び上告人の各上告理由について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)

(平成一〇年行ツ第一九一号 上告人 上山英志)

上告代理人太田耕治の上告理由

第一 序

本件訴訟の争点は、上告人が亡上山英子より相続した訴外大日本除虫菊株式会社(以下「訴外会社」という)の株式九、三〇〇株(以下「本件相続株式」という)の評価問題のみであって、他に争点はない。更には相続税法第二二条は、相続財産の評価については「取得時の時価」による旨定めているが、上告人は右規定を争うものではないから、本件訴訟の争点は、本件相続株式の「時価」の一点にある。

ところで、課税については、正当な法律の規定がなければならないことは租税法定主義の大原則から当然であるところ、右相続税法に定める「時価」は、社会通念上適正にして妥当なものでなければならないことも当然である。もし、適正にして妥当なものではない時価によって課税がなされた場合、それは国家権力による個人財産への侵害であり、当然に憲法二九条に違反するものである。

従って、本件訴訟は本質的に憲法問題を含むものである。

第二 本件訴訟の事実関係について

本件訴訟の事実関係は、原審(第一審を含む)の認定したとおりであって、要約すれば次のとおりである。

イ 訴外会社は、課税時期において、資本金九、六六〇万円、本件相続開始の直前期末における総資産価額は二一三億円強、同直前期末以前一年間における取引金額は二三一億円強であって、評価通達一七八に定める「大会社」である。

ロ 訴外会社の株式の状況(持株数、持株割合、株主の親族関係)は別紙「訴外会社の株主の状況」記載のとおりである。

ハ 上告人は本件相続以前において訴外会社の株式を九六、五〇〇株(持株割合約四・九九パーセント)を有していたところ、本件相続により九、三〇〇株を相続したことにより、所有株式数は一〇五、八〇〇株(持株割合約五・四八パーセント)になった。

ニ 訴外会社は評価通達一八八の(1)にいう同族株主のいる会社であり、上山英介(訴外会社の四代目社長であり、個人筆頭株主)と上告人は五親等の血族の関係にある。

ホ 訴外会社には、評価通達一八八の(2)に規定する中心的な同族株主が存在するが、上告人は中心的な同族株主には該当しない。

ヘ 本件相続株式の評価はS1+S2方式で評価した場合一株当たり一六、七四三円である(S1+S2方式は純資産価額方式を加味した評価方式である)

又、本件相続株式を配当還元方式で評価すると一株当たり五〇〇円となる。(配当は過去三ヶ年間一年当たり五〇円であり、上告人はそれ以外に訴外会社より経済的利益を受けたことはない)

ト 上告人は、訴外会社に勤務したこともなく、役員になったこともない。上告人の祖父故上山英三は非常勤取締役になったことはあるが、それも昭和五六年一一月二九日迄のことである。

第三 上告理由その一

原審判決は、相続税法第二二条に定める時価の解釈を誤ったものであり、法律の解釈を誤った違法がある。

一 時価とは、一定の期間内に、当事者が相当なる努力をすれば処分可能な価格でなければならない。それだからこそ、処分の有無を別として資産として、その額で評価できるのである。本件相続株式は、相当長期間を考えても、被上告人の評価額で処分することは不能であり、右評価額をもって時価とすることは根本的に誤りである。

二 原審判決は、まず被上告人の主張を容れて、株式の評価方法は、特別の除外事例を除いて、純資産方式が基本であると判示しているが、誤りである。

被上告人は評価通達一八九―二により、株式保有特定会社については純資産価額方式又は評価会社の資産を株式及び出資の合計額とその他の資産の額に二分し、前者に純資産価額方式を適用し、後者に一般の評価会社の株式評価方式(大会社にあっては、類似業種比準方式)を適用して評価会社の一株当たりの価額を算定する方法(以下「S1+S2方式」という)によるとするが、評価通達は被上告人の内部規定であって、それ自身が合理性の根拠たりうるものではなく、当然のことながら有権的解釈等一応の合理性を認められる性質のものではない。

評価問題については、上告人と被上告人は対等の立場にあるものであり、むしろ被上告人には課税権者として謙抑の精神が求められるべきであることを強く主張しておきたい。

三 上告人は、株式の評価原則は、直接に会社経営に参加している株主及び参加しうべき株主については純資産価額方式が妥当するが、直接に会社経営に参加しておらず、又参加しうべき立場にない株主については配当還元方式によるべきであると主張するものである。

この考え方は、基本的には被上告人自身が認めているものである。即ち、評価通達一八八及び一八八―二の適用により株主Aが五一パーセントの株式を保有し、株主Bが四九パーセントの株式を保有しているケースで株主Bが株主Aの同族ではなく、且つ役員に参加していないときは、株主Bの保有する株式の評価は配当還元法によることとなっているのがそれである。

非同族で四九パーセントの株式を保有する株主は会社経営につき隠然たる影響力を有しており(例えば商法に定める特別決議に反対し得る)、この株主に対し単純に配当還元法を適用するのは不思議であるが、この考え方と本件のような五親等の親族で五パーセントを若干超えているような株主に配当還元法を適用しないという考え方は、明らかに衡平を欠いており、相当ではないのである。

四 被上告人は、上告人は同族株主(上山英介の五親等の血族)であるとして、配当還元法の適用を認めないのであるが、五親等の血族たることをもって同族株主と判定、配当還元法の適用を認めないことは絶対に誤りである。上告人が一審以来主張してきたように、現在の社会において、五親等の血族はアカの他人に等しいのであり、相互に親族感情を有しないのが通常である。しかるに、評価通達一八八の(1)は、法律の委任もないのに(法人税法とは異なる)親族の範囲を定めるに当たって、単純に民法の規定を援用するのであるが、民法において親族を六親等迄とした立法趣旨(それは抽象的なものであり、具体的なものではないが)を相続税法上の同族に援用する合理的根拠は全く不明である。相続税法上の同族の範囲を画する基準は、相互に親族感情を有し、会社経営について当然に協力が予定されているかどうかから判断すべきであるが、被上告人の手法は右観点からの検討を全く欠落している。

五 勿論、被上告人もその欠陥を知らないのではなく、四親等以下の血族に対する救済措置を講じているのであるが、その場合においても救済の対象となっているのは持株割合五パーセント以下の株主のみである。

この場合、問題とすべきは会社経営に参画する可能性が一般に認められる持株割合を調査すべきであるのに、このような調査がなされた形跡はない。「四親等以下で会社経営に参画している株主の持株比率は平均して何パーセントである」という調査がなされていれば、そのパーセント以上の持株を有する株主に対して、会社経営に参画し、又は参画しうるものとして経営同族グループと同じ評価方法を用いることは可能かも知れないが、かかる調査は存しないのである。

被上告人が主張する乙第五号証の実態調査からは、四親等以下の血族の持株割合は一人当たり五パーセント程度であるということを知り得るのみで、四親等以下の血族のものが経営に参画している割合や条件については何ら参考にはならないのである。乙第五号証の実態調査は、会社経営に関与せず、又は関与し得ない同族株主を会社経営参画グループから除外するという観点からみたとき、合目的性のない不完全な調査であって、五親等のような血族はアカの他人として処遇すべきものである。

六 上告人は過去三ヶ年間、訴外会社より配当をうけているのみであり、訴外会社の経営に参加したことはない。それは上告人の持株割合から見て相当なことであるし、(上告人が経営に参加しないことが権利の放棄乃至自主的制限とみなされるような事情はない)仮に叔母である吉林真里子外三名の協力を得ることができても、総持株割合は二〇パーセントに達せず、現在の状態は基本的に不変である。本件相続株式について、経営側同族グループと同じ評価原則を適用する根拠は全く存しない。

七 課税手続において実質課税の原則なるものが存在する。巧みに法形式を駆使して実態を隠しても、課税は実態に即して行われるのである。このような実質課税の原則は、課税庁の不利においても判断の基準として用いられるべきである。本件相続株式については、相続時点においても将来においても期待されるのは配当のみであり、その他の利益は全く予定されないのであるから、実質課税の原則からも、本件株式の評価は配当還元法によるべきである。

八 以上のとおり、本件相続株式の時価を一株当たり一六、七四三円とした原審の判断は、時価の判断を誤ったものであり、その誤りは法律の定めに違反し、ひいては憲法第二九条に違反するものであって、当然に破棄さるべきである。

第四 上告理由その二

原審判決には、理由不備ないし理由齟齬の違法がある。

一 既に第三の五で述べたところであるが、原審判決は、四親等以下の親族のうち株式割合が五パーセント以下の株主には配当還元法を適用し、五パーセント超の株主には純資産法(S1+S2方式を含む)を適用することに合理性ありとしているのであるが、その根拠は乙第五号証の実態調査である。

二 この実態調査そのものは提出されていないが、乙第五号証によれば「この場合の持株割合五%は、実態調査の結果会社経営者からみて親族関係が薄いと認められる四親等以下の血族の持株割合が一人当たり五%程度であるので」というのであるから、実態調査は四親等以下の血族の持株割合を調査し、その結果持株割合は五%程度であることが判明したにとどまるのである。

三 この実態調査の目的は、中心的株主がいる場合に、非中心的株主を中心的株主と同視し純資産法を適用することに疑問を感じ、純資産法の適用を除外すべき非中心的株主を画策することにあったのである。

もしそうであれば、実態調査の方法は、中心的株主から何親等離れた血族が会社経営に参画しているか(取締役になっているか)にあるべきである。これを調査すれば、我国においては、取締役は中心的株主から何親等離れた血族に及ぶということが判り、ひいては会社経営について同族意識を有する血族の範囲を推定し得た筈である。

四 これに反し、四親等以下の血族の有する持株割合を何度調べても、会社経営についての同族意識を判定する根拠にはなり得ないのであり、右実態調査は非中心的株主を画策することについては全く無意味である。

しかるに原審判決は右実態調査をもって、本件株式を中心的株主の有する株式と同じ評価を与える根拠として挙示しているのであるが、その判断に理由不備ないし理由齟齬の違法があることは明らかである。

第五 上告理由その三

原審判決は立証責任の配分を誤った違法がある。

一 本件株式の評価については、すべて被上告人に立証責任の存することは明らかである。

しかるに、原審判決は安易に純資産法による評価が原則であるとした上で、その除外例については上告人に立証責任があるとしている。

二 即ち原審判決が援用する第一審判決は、「既に説示したとおり、持株割合五パーセントをもって区分することは一般的な合理性をゑ有するものということができ、純資産価額方式も株式の資産価値の評価方法としての合理性を有すると解されるから、右通達の取扱いが個別的に不当となるというためには、右基準によった場合の評価額が「時価」を超え、これをもって財産の価格とすることが法の趣旨に背馳するといった特段の事情が存することの立証が必要というべきである。」と判示している。

又、第一審判決は、右判示に続いて、「本件では、「時価」を鑑定することも検討された。しかし、鑑定申請が撤回された結果、原告の主張する時価の立証としては、次に検討する折衷的な評価方法に沿う意見書が存在するにすぎないが、次に説示するとおり、これによっても右立証があったと認めるには足りないのである。」と述べている。

三 しかし、上告人には、本件株式の評価を立証すべきいかなる義務もない。上告人の立証はすべて被上告人の立証に対する反証であり、せいぜい積極否認についての立証にすぎない。

上告人は現在でも非上場の株式の評価は、完全な支配株式については純資産方式が、完全な小数株式については配当還元法式がそれぞれ妥当するが、その中間に位置する株式、例えば本件株式のような株式については、純資産方式と配当還元法式の折衷方式が妥当であると確信している。そして、いかなる配分率によって折衷を行うかについては、裁判所が判断をしたされるものと信じているのである。上告人が妥当なる折衷方式を立証し盡すことは不能である。

しかし、そうだからと言って、上告人の主張する折衷方式が取り上げられないのは不当である。

四 この点は、地代増額事件において、当事者の主張・立証とは離れて、裁判所が独自の方式で相当なる地代額を算定されるのと大きく異なっている。

それは、原審判決(一審判決を含めて)が上告人が立証しない限り、課税庁の定める方式に一応の立証があるとする点において、立証責任についての判断を誤っているからに外ならないのである。

上告人は、被上告人の主張・立証では真に妥当な時価の立証はなされていないと信ずるものであり、最高裁判所におかれて衡平妥当な時価を決定されるよう希望してやまない。

以上

別紙

訴外会社の株主の状況

〈省略〉

(平成一〇年(行ツ)第一九一号 上告人 上山英志)

上告代理人金子武嗣の上告理由

一 序

原判決は、本件課税処分について、相続財産評価に関する基本通達(以下評価通達という)に基づき、配当還元法(評価通達一七八但書、一八九―二なお書、一八八、一八九)を適用せず、評価通達一八八(2)を適用して評価した。

上告人は「同族株主のいる場合」で「中心的同族がいる場合」に、その「中心的同族に属しない株主」は、会社の支配可能性が全くないのであるから、これに対し、一律に配当還元法を適用せず「純資産法」を適用する評価通達による評価は、「同族株主のいない場合」と対比して、著しく合理性を欠くものであり、評価通達一八八(2)それ自体が憲法一四条に違反するか、又は、適用すること自体が憲法一四条に違反するものであり(適用違憲)、到底、合理的な正当な評価であるとはいえない。さらに、原判決には理由不備、理由齟齬がある。

二 取引相場の株式の評価について

「取引相場のない株式の評価」とは、昭和五三年四月一日評価通達改正前の国会審議で水口昭国税庁直税部長は次のようにのべているとおり、

「取引相場のない株式とは、上場株式(証券取引所において上場されている株式)及び気配相場のある株式(上場株式ではないが取引慣行のある株式)以外の株式をいいますが、その銘柄数からみれば、全国で活動中の内国法人約一二六万社のほとんどであるといえます。しかも、その取引相場のない株式の発行会社(以下「評価会社」という)は、大は上場会社に匹敵するような大規模な会社から、小は個人企業と変わらない小規模の会社まで千差万別であるのが実態です。」

(甲第一三号証四四、四五頁)

我国のほとんどの会社の株式評価にかかわる問題であった。

三 配当還元法の導入について

そもそも配当還元法の導入は、昭和三九年四月の基本通達改正によるものであった。

1 導入の契機

昭和三九年四月の基本通達の改正で

〈1〉同族株主のいる会社の株主のうち、同族株主以外の株主

〈2〉同族株主のいない会社の株主のうち、持株割合の合計が五%に満たない株主グループに属する株主

が取得した株式の評価に「配当還元法」をはじめて適用することとした。

右基本通達の改正については、篠原忠良(国税庁資産税課課長補佐)が「相続税財産評価に関する基本通達の解説」で税務通信八二〇号、八二三号、八二四号に連載した解説がある(甲第一四乃至一六号証)。

この中で「取引相場のない株式評価について」次のように解説されている(甲第一五号証)。

大会社について

「大会社の株式を類似業種の上場株式の評価の平均に比準させて評価するとしても、将来上場するかどうかは、実質的に経営を支配している同族株主にとっては全く自由にまかせられており、その限りでは同族株主の株式の評価としては、上場されている類似業種の株価と比較することはよいとしても、経営の支配に参画していない少数の株主にとっては、上場の可能性はあってもその主体性はなく、上場を期待し得ても現実的には配当のみにたよる株主であり、それらの株式は、純資産がいか程あるということよりも、何割の配当があるかということが取引価値の実体でもあることを考慮して、通達では、大会社の非同族株主の株式は、類似業種の株価に比準して評価した価額と配当還元により評価した価額とを五〇%づつ加味した価額によって評価することとしています。」

(一四頁)

と説明されている。

小会社について

「むしろこのような小会社の株式は、個人事業主が所有し支配している事業財産の所有関係と実体的にはあまり異るところがないともいえるところです。

たとえば個人の事業主に相続の開始があった場合はその被相続人である事業主の有する一切の財産が相続財産として評価の対象になるわけです。かりに、個人事業主が法人組織に切り換えて全株式を所有していたとした場合、その事業の財産は株式に化体されており、相続財産としては、その株式が評価の対象になることになります。この二つの場合を較べて、後者の株式の評価額が、前者の事業の財産の評価額とで違いがあるとすればおかしいところです。またこのような小会社の株式の譲渡を考えてみると、不特定多数の間での取引を観念した場合無名の小会社ですから、一般的に需要が少ないと考えられますが事業への参画とか、営業の譲渡に伴う株式の譲渡が行われる場合は、事業の内容、将来性などの影響もあることでしょうが、会社資産の財産的価値つまりネットの財産価値によって評量されところが少なくないと考えられます。また事業への参画とか事業の譲渡のような場合でないとすると、収益つまり配当があるかどうか、どの程度の配当が予想されるかということが取引される場合の唯一の価値要素になるのではないかと考えられます。

これらのことから、小会社の同族株主の株式は、個人事業主との権衡をも考慮して一株当りの純資産価額によって評価することとし、非同族株主の株式は、配当に着目した配当還元価額(その内容は後述)で評価することが取引の実態にも即しており適切であると考えられます。」

と説明されている。

中会社については

「このような基準で区分した大会社と小会社との中間に相当する会社つまり中会社の株式については、大会社の株式のような要素をもつものとして、同族株主の株式は、中会社の総資産価額と取引金額の規模に応じて、類似業種比準方式により評価した価額と純資産価額により評価した価額とを一定の割合で加味する方法によって評価することとされています。非同族株主の株式は、小会社の非同族株主の株式と同様に、その取引の実態を配当に着目した投資的な取引と観念することが実態に即していると考えられるので、配当還元価額によって評価することとされています。」

(一四頁)

と説明されている。

大、中、小いずれの会社も「支配可能性」の有無が大きなメルクマールとなっている。

2 基本的考え方

そして、この通達の基本的考え方について次のようにのべられている。

「ところで、まえに同族株主と非同族株主との区分のし方について述べましたが、通達の考え方は、株式の保有形態と取引の実態からみて、会社の経営を支配している株主とそうでない株主とでは、その株主の有する株式の経済的価値に差異があることに注目しているわけです。上場株式にあっては、同族株主が持っている株式であろうと、非同族株主の持っている株式であろうと株式の市場の価格は等しいところですが、取引相場のない株式にあっては、売買取引の客観的な市場価格がないということのために、単一的な価格の形成が疎外され、その取引価格の実態は複雑になっているところであると見られますが、さりとて、全く価格の寄りどころがなくなってしまうわけではなく、取引の実態に応じて、特殊な関係者を離れても、それぞれ形成される価格の根拠があるわけです。

それを大きく経営を支配する株主とそれ以外の株主とに分けてその特徴をみると、経営を支配する株主にとっては、その有する株式は、会社財産の分数的な所有の証書であり、零細な株主にとっては、配当という利子を受け取りうる元本債権証書であるとみるとこができるわけです。その二つの両端の範疇が同族株主を非同族株主として観念されているわけです。

(一五頁)

――――――――――

「株式の評価としては、その株主が同族支配している株主であるかどうかの判定が必要とされます。

企業を所有し経営を支配するとしては、発行済株式総数の過半数を株主一人およびその同族関係者で所有しなければできないところですが、非上場会社の実態としては、過半数の株式を所有していない株主が、経営の実権を支配しているのも少なくないところです。

相互の間では同族関係のない株主がいづれも過半数に満たない株式しか保有していなくとも、比較的大口の株主が、社長、専務、重役等となって経営の実体を支配している場合がその例です。」

(一五頁)

ここにおいてもメルクマールは「支配可能性」に外ならない。

3 昭和三九年四月の通達からいえること

以上のことから明らかなことは次のとおりである。

第一に、「配当還元法」の導入があくまで経済的実態をふまえた合理的適正な評価のためのものであった。支配株主にとっての株式が「会社資産の所有の証書」であり、それ以外の支配される株主にとっての株式は、配当という利子を受取る「元本債権証書」である実態から、後者の理論的帰結として「配当還元法」による評価がなされることになったのである。

第二に評価方法について、「純資産方式」も、「配当還元方式」もどちらが原則というものではなく、「支配する側」、「支配される側」のそれぞれの実態に即した正当な評価方式なのである。

判旨がいかに正当でないか明らかである。

第三に、この「配当還元法」の導入は、経済実態をふまえた理論的なものであって評価手続の簡便法などは考慮されていない。これは右解説に全くふれられていないことからも明らかである。

そもそも評価は、合理性、正当性が担保されなければならず、簡便性などは行政の都合にすぎないものであるから、その考慮の範囲外でなければならない。

四 昭和五三年四月の通達改正について

1 基本通達の考え方

また上告費とは、原審において、基本通達の考え方は、極めて理論的なものであり、経済実態をふまえたものであることを主張した。

「経営を支配する株主にとっては、その有する株式は、会社財産の分数的な所有の証書であり、零細な株主にとっては、配当という利子を受け取りうる元本債権証書である」とされ「その二つの両端の範疇が同族株主と非同族株主として観念されている。」つまり昭和三九年五月改正における「同族株主」とは「支配する側」の典型であり、「非同族株主」とは「被支配側」の典型であり、両端の範疇だったのである。

そして、昭和三九年から、そして年代のたつごとに、同族会社の中でも「中心的同族」とこれに「支配される同族」に、非同族会社の中でも「支配する株主」と「支配される株主」に分化してきた。それは歴史の中での必然である。

2 状況の変化について

ところが昭和四〇年代から昭和五〇年代にかけて、取引相場のない株式の会社について、状況変化がみうけられるようになった。

そもそも、これらの会社は古くは明治、大正、近くは昭和に設立されたものであり、出発は同族会社である。しかし、当初は同族として密接な親族関係であったものが世代をへて、同族の中でも分化がはじまり、同族間で会社の支配権を有する同族と、全く支配権もない同族との分離がはじまったのである。本件もそれに外ならない。

また同族のいない会社においても、会社の支配権を有するグループとその外のグループとの分化が始まってきた。

まさしく、会社を支配する同族グループもしくは一方グループと、他の同族もしくは他のグループとに分化し、後者は前者より一方的に決められた配当を与えられるだけの存在になってしまったのである。

これらのグループは、昭和三九年改正における同族会社の「同族以外の株主」、同族のいない会社の「五%以下の株主」と実態は変わらないのである。

このような状況をふまえ「取引相場のない株式の評価」の方法について評価通達の改正即ち(評価方法の変更)が問題となってきた。

3 昭和五三年四月一日改正のきっかけ

そもそも改正のきっかけは水口直税部長の答弁のとおり

「近時、国会その他において、中小企業の相続税負担に関連して、取引相場のない株式の評価方法及び当該株式に係る物納の取扱いについて再検討すべき旨の議論が行われ」

たことから始まる。そのやりとりは昭和五三年三月八日衆議院大蔵委員会で行われた。

永末委員と水口昭政府委員(国税庁直税部長)の興味深いやりとりがなされている。

○永末委員 この同族会社の場合、同族であった者が死亡して贈与が始まる。相続じゃありませんよ、死亡せぬでもええですけれども。要するにくれてやったという場合に、非同族の者がその株をもらったらどの評価でやりますか。同族であった者が非同族の者に贈与した、その場合どうなりますか。

○水口政府委員 その贈与を受けたり、あるいはその低額の譲渡を受けたその者が非同族であった場合、これは配当還元方式、これが適用になります。

○永末委員 逆の場合にはいろんな問題が起こるわけですね。非同族の者が同族のものに株を売った、譲渡した、その場合には、配当還元方式でなくていままでの三つのいずれかに該当する評価を受けて、そして差額がありますと、その部分は贈与税だ、こうなりますね。

○水口政府委員 仰せのとおりでございます。

(甲第一三号証二五頁)

それまでの評価の矛盾が明らかにされている。

永末委員は株式の物柄との関係で次のように問題を提起している。

○永末委員 そこに問題があるわけです。実際問題として、そういう譲渡なり相続が行われた場合に、だから納税をせよと迫られる。最初大会社の場合を援用して問答したわけでございますが、流通性がないというわけですね。市場性がない。したがって、税務署はそれは受け取らないというわけです。もしその株の評価があなた方が評価されたように一般会社で認められる値打ちがあるのなら、すなわち、上場株が時価が相場で立ってそれで転々流通するようなぐあいに流通しておるなら、問題はないわけだ。ところが、流通性がない、市場性がないからそれはその評価でいかない。あくまでもあなたの方はこれをその評価で通せとおっしゃる。そうしますとその場合、納税を、たとえば贈与税にあれあるいは相続税であれ、迫られた側は一体どうなるのか。個人の相続の場合には、あるいは個人の贈与の場合には、それが物件であれば売り飛ばして換金して払いますね。これは換金ができない。そこに問題があるわけです。どうしたらいいですか。

西野賢一 (国税庁徴収部長)は、

「それで、非上場株式につきましての扱いでございますけれども、従来は一律に売却できる見込みのない有価証券というふうに取り扱われてまいりましたために、事実上物納の道が閉ざされているのに近いような状態になっていたところでございます。しかし、この非上場株式につきましても、将来の売却見込み等を勘案いたしますと、必ずしも一律に取り扱うことは適当ではないのじゃないかということで、相続財産のほとんどが非上場株式であって、その株式以外に物納に充てるべき財産がない、さらに金銭による納付が困難である、そういうふうな場合につきましては、将来の売却見込みなどを勘案いたしまして、適当と認められるものにつきましては、その物納を認めることにいたしたい、このように考えております。

○永末委員 非常に重要な御答弁をいただきました。

将来の売却見込み等を考えながらというのは、だれがだれに売却するのですか。

○川崎政府委員(理財局次長) 物納株式を引き継ぎまして、財務局がもとの縁故者などに売却する場合があろうかと考えております。

○永末委員 いままでの実例によりますと、まず縁故者、すなわち同族が買い取りますと言ったら初めて受け取るということですが、いまのお話ですと、それは未来のことであるから、まず受け取る、売れるか売れぬか実はわからぬ、こういうことでいいのですか。そこは正確にひとつお答え願いたい。

○川崎政府委員 従来の扱いは厳格過ぎると申しますか、やや不合理な点もあったかと思いますので、国税庁と協議いたしまして改めたわけでございますけれども、たとえば現在は全然買い手がいない、縁故者も資力の関係で買えない、しかし買いたい気持ちはあって将来には買えるであろう、そういったようなものは引き受けるということに改正したわけでございます。

○永末委員 もう少し正確に言っていただきたいのですが、買えるであろうというのはあなたの方の見込みですね。相手方が買いますとということを言わなくてもいいのでしょう。

○川崎政府委員 さようでございます。

(甲第一三号証二六頁)

まさしく、取引相場のない株式の評価の矛盾が浮彫りになっている。

そして、これら取引相場のない株式の評価について国税庁は矛盾を認めて、改正に至ったのである。

評価通達は、昭和三九年四月二五日に全面的に改正され、新たに制定されたものであるが、水口直税部長の国会答弁のとおり、

「昔は配当還元方式のようなやり方はなかったわけでございます。ところが、相続税の財産評価に関する基本通達が昭和三九年に全文改正されまして、その際に中に入ってきたものでございますが、なぜこれが取り入れられたかと申しますと、同族会社の中で……

――――――――――

それから、そういったごくわずかしか株を持っていない、会社に対する支配権もなければ影響力もない、ただ配当を受け取るだけであるといったような人に対しまして原則的な評価をいたしますと、かなり高額になることもあって実情に合わない、いろいろな要望が強うございましたので、三九年に改正をいたしまして、こういったものを取り入れたわけでございます。」

(甲第一三号証二五頁)

として、導入されたものである。

これによって、「同族会社」における「同族以外の株主」の所有する株式、「同族がいない会社における五%未満株式」に対し配当還元法による評価方法を採用した。

その考え方は、同族会社における同族以外の株主や、同族がいない会社における五%未満の株主にはその会社における支配権もないし、影響力もない。単に会社を支配する他の人々が一方的に決めた配当を与えられるだけの存在であり、そのような株式の価値は資産評価等の方式ではなく配当還元方式により評価するのが適切であるとの実態をふまえたものである。

それは、株主間の階層分化、支配従属化の産物ともいえるものであった。

この点からみに配当還元方式による評価は、実態に適合し、正当なものであった。

水口国税庁直税部長は次のようにのべる。

○水口政府委員 取引相場のない株式の評価につきましては、国会におきましてもいろいろな論議のあったところでございます。そこで、国税庁といたしましても、この通達を改正する必要があるのではないかということで、いろいろな学識経験者の方々、そういった方にお集まりをいただきまして、去年の年末とことしの二月に二回懇談会を開催いたしました。そこでいろいろ御意見もちょうだいいたしましので、国税当局としては、なるべく早い機会に、できれば今月中にも成案を得ましても、通達の改正を行いたい。

その内容でございますが、まだ細かい点は決定しておりませんけれども、やはり取引相場のない株式の評価に当たりましても、個人の場合とのバランスを崩すわけにはいかない、それは必要でございますが、しかし、株主の中で余り支配権を持たない株主がたくさんおられるわけでございます。そういった方に余り酷な評価にならないように、その点に重点を置きまして、ただいま具体的な案を得るように鋭意研究をしているところでございます。

○永末委員 いい傾向だと思います。同族とはいいましても、株主等の親族だとか、その親族と生計を一にする者が同族会社の支配権を持っているわけではございませんので、今月末を目途にしてやっておられることははなはだ喜ぶべきことだと思います。大体の傾向が定まりましたらぜひひとつ大蔵委員会に報告をしていただいて、われわれの意見も聞いていただいてから通達をつくっていただきたい、右要望いたしまして、質問を終わります。

(甲第一三号証二六、二七頁)

4 昭和五三年四月一日通達改正について

昭和五三年四月一日の評価通達改正の経過について今井武志(国税庁資産評価企画官室)の「相続税財産評価に関する基本通達の一部改正について」(税理二一巻九号)では次のようにのべられている。

「ところで、最近の課税事案のなかには、同族株主でありながらも、相続等による取得後の所有株式数が少なく、かつ、会社役員でもないところから、会社経営にほとんど関係のない者の存在が見受けられます。

このような株主が相続等により株式を取得したときに、改正前の取扱いによれば、会社主宰者など中心的な同族株主の取得株式と同一の評価方式を適用されることについて、同族株主である以上は同じ評価方式を適用すべきであるとする意見と株式所有の実態からみて適当ではないという意見がみられました。

今回の改正は、これらの意見及び課税処理上の要請を踏まえ、対象となる同族株主の範囲、評価におけるバランス、評価方法の簡明性等から、そのような少数株式所有者を外形標準により判定することとし、一定の条件に該当すればその株主の取得株式の価額は、配当還元方式により評価することとしたものです。

(甲第一二号証四七頁)

とされている。

以上のとおり、評価通達の右改正は、「会社主宰者など中心的な同族株主と親族関係にある」ということだけから、また会社を支配しているグループに属していないにも拘らず、中心的な同族株主や、支配グループの取得株式と同一の資産評価方式を適用されることは不合理であるという評価方法の不当性、不合理性をめぐる議論であり、それを克服するための改正であった。

まさしく右改正は、合理的な正当な評価を貫くことであった。その結果はどうなったのか。

右改正は(1)同族株主のいる会社と(2)同族株主のいない会社との改正が同時になされた。

その改正は次のとおりとなっている。

(1) 同族株主のいる会社

〈省略〉

(2) 同族株主のいない会社

〈省略〉

つまり両者の改正は、対になっている。

5 同族株主のいない会社

ところで、本件改正での同族株主のいない会社の区分は、次のとおり極めて合理的である。その区分は会社に対する「支配可能性」である。

図イ

〈省略〉

6 同族株主のいる会社

これに対して「同族株主のいる会社」における改正は図1のとおりであるとされる(乙第三号証4頁)。

図1

〈省略〉

しかしながらこれを実質的にみると図2のとおりである。

ところで前記図イのとおり「同族株主のいない会社」において取得後の持株割合五%以上の場合(Aの株主)は、原則的評価方式をとる理由は、「持株割合の合計が一五%以上のグループに属するから」なのであった。つまり会社を支配できる具体的な可能性があるからである。

ところが、図2で明らかなように「同族株主のいる会社」で「中心的株主がいる場合」に、五%以上を有していても((a)の株主)中心的株主グループに属していなければ、会社に対する具体的な支配可能性は全くないのである。両者は

図2

〈省略〉

決定的にちがっている。図2のうちで(a)の株主のみがグループがちがうのであり、これを原則的評価するのはおかしいのである。

図1、2は、図3のとおりでなければ合理的、正当ではない。

図3

〈省略〉

この点は、評価通達が一八八(1)で、「同族株主」について「同族株主とは三〇%の株式を保有する場合をいう」としながら、同族グループが五〇%以上を保有する時は、例え他の同族グループが四九%の株式を保有する場合でも、他の同族グループを同族扱いとしていないことからも裏付けることができる。

他の同族グループが会社への支配可能性がないため同族扱いにしないことにより、配当還元法を適用できるからなのである。

まさしく、「配当還元方式」と「原則的評価方式」適用の区分を、会社の具体的な支配可能性の有無によって決しようとしているものであり、その点で合理性、正当性がある。

原判決の、

「控訴人は、評価通達が昭和三九年に定められた際の趣旨及び昭和五三年に改正された趣旨がその主張のようなものであることを前提に、本件相続の結果発行済み株式の五パーセントをわずかに超える株式を取得するに至ったにすぎず、会社の経営につき何ら支配力を有しない株主である控訴人に配当還元方式を適用しないことは公平を失し日本国憲法一四条に違反する旨を主張するが、甲一二ないし一七号証によっても、評価通達の右制定、改正の趣旨が控訴人主張のような点に限定されていたとは認めることができず、したがってその主張は前提を欠き採用することができない。」

との認定が、いかに事実を無視するものか明らかである。

五 中心的株主のいる場合の中心的株主グループに属さない五%以上株主の評価について

以上のとおり「中心的株主がいる会社」において「中心的株主以外の五%以上の持株割合の者」については、会社に対する具体的な支配可能性がないのであるから、これに「原則的評価の方式」を適用すること自体が合理性を欠くのである。

1 原判決の認定

原判決は、評価通達一八八の(2)は、

「同族株主の中でも、まさに血縁の力の認められる範囲の者の持株割合から中心的な同族株主を認定し、この中心的な同族株主以外の同族株主のうち、取得後の持株割合が五パーセント未満の者の取得する株式については、『同族株主以外の株主等の取得する株式』として、特例的評価方式である配当還元方式を採用しようとするものである。すなわち、評価通達は、同族株主でも親等の遠い者については血縁の力が弱まることを当然の前提として、近親者の持株数の合算により中心的な同族株主を定め、他方、持株割合が会社経営への影響力の一つの徴表であることから、中心的な同族株主以外の同族株主のうち、持株割合が五パーセント以上となる者が取得する株式については、特例を適用しないこととしたものである。」

とする。

そもそも、通達は行政の内規にすぎないから評価通達による評価方法が正当性、合理性を有する限り(これは確定的なものでなければならない)、相続法二二条の時価とされるにすぎない。

その正当性、合理性は、課税庁側の主張・立証責任であるからである。

2 一八八条(2)の五%基準の正当性の根拠のないこと

原判決は、

「そして、乙第五号証及び弁論の全趣旨によれば、特例的評価方式の適用について、株式取得後の持株割合が五%未満という基準を設定した根拠には、会社経営者からみ親族関係が薄いと考えられる四親等以下の血族の持株割合が一人当り五%程度であるという実態調査の結果があることが認められ(実態調査の原資料が提出されていないことからといって根拠が失われるものではない)右基準の合理性を一応肯定できるというべきである。」

と認定する。

しかしながら、右認定は、不当である。

第一は、右調査の時点である。

第二は、その内容が正当か否かの検証がなされないことである。

乙第五号証(昭和五三年四月二四日の取引相場のない様式の評価方式に係る改正点及び改正理由について)の中で、「この場合の持株割合五%は、実態調査の結果、会社経営者からみて親族関係が薄いと認められる四親等以下の四族の持株割合が一人当り五%程度であるのでこれを参考としたものである」(4頁)とされているだけである。

調査の時点も明らかでなく、しかも「五%程度」というアバウトなものなのである。

仮に昭和五二年からみても、平成四年時点では約一〇年も経っている。前記のとおり株式の同族内での分散、集中も変化しているのである。

まさしく時点と内容の検証が必要なのである。

ましてや正当性根拠を明らかにするのは行政庁の側なのである。

そもそも「四親等以下の血族の持株割合が一人当り5%程度かどうか」ということと、「その血族が中心的同族のグループに属し会社を現実に支配し又は支配可能性があるか否か」とは、全く関係のないことであり、五%が会社支配の何らのメルクマールになるものではない。

「同族がいない会社の場合」の一五%のグループに属し、五%以上を有する株主(会社の支配可能性がある)とは決定的に違うのである。

原判決は、右五%の基準の合理性が「一応肯定できる」とするが、これもおかしいのである。原判決は、

「また、個別的には五パーセントという区分基準が合理性を欠く場合があるとしても、一般的基準を定立した場合にその基準の内外で差が生じ、僅差で基準の内外に分かれた事例において不平等感が残ることはやむを得ないものというべきであって、その故に区分の基準となる持株割合を七パーセントあるいは二〇パーセント程度等とすれば合理的であるとする根拠はないのである。」

と判旨するが、上告人は区分の基準を持株割合七%あるいは二〇%にせよとは主張していない。「中心的同族」以外の同族の持株は一切配当還元法を適用するのが憲法一四条の定めの法の下の平等に適合すると主張しているのである。

この点において、評価通達一八八の(2)の正当性・合理性を確定的に肯定できない原判決は失当といわざるを得ない。

3 上告人の主張に対する判断の不合理性

原判決の引用する一審判決は、

「たしかに、複数の同族グループの一つが株式の過半数を有し、経営支配力の差が明らかである場合には、持株割合が過半となる同族グループの持主のみが同族株主となり、他の同族グループの取得株式は持株割合にかかわらず配当還元方式によって評価されることは原告の指摘するところであり(評価通達一八八の(1))、類似の事態は、同一の同族グループ内において複数のグループが存在するときにも想定できるところであるから、持株割合五%をもって同族グループ内における配当還元方式の採用を画する基準とするときは、右指摘の場合との均衡を欠く結果となることもあり得るところである。」

と評価通達一八八の(2)のその不合理性を認める。

「しかし、同一の同族グループ内における支配グループとその余のグループの形成は、二親等の血族といった近親者間にも生じ得るものであり、ときには近親者間の個人的関係によってグループが形成されることも考えれば、右のグループを親等の距離によって客観的に確定することは困難であり、近親者間の個人的関係に起因することもあり得る会社経営への影響力の優劣を株式評価に反映させることはかえって評価をあいまいなものとすることになるのである。」

とする。

しかしながら、上告人は、中心的同族グループに属しない同族は、会社に対する具体的な支配可能性が全くないのであるから、一律に配当還元法により評価をすることを求めているのである(主位的主張)。

また「中心的同族グループ」に属するか否かは、何ら「親等の差」において確定する必要もない。

六 結論

相続税の課税実務上は、相続税財産評価に関する基本通達(評価通達という)によってなされているが、通達自体は行政の内規にすぎないから一般的には法源性を有しないものであり、評価通達による評価方法が正当性、合理性を有する限りにおいて、相続税法二二条の「時価」とされるにすぎないのである。

評価通達を「金果玉条」に適用することは許されない。評価通達も六において、評価通達の不適当な場合を認めており、これによらない解釈を認めている。

1 通達の憲法違反

以上のように、昭和五三年四月一日の基本通達の改正の中で、ほとんどの部分が理論的に適切であったが、「同族株主のいる会社」で「中心的な同族以外の株主」が「取得後の持株割合が五%以上」の場合にのみ、「配当還元法」がとられないことは理論の一貫性を欠いたのである。それは、右株主が支配される側であったからに外ならない。

まさしく本件の場合のように「持株が五%以上であった」としても会社への支配可能性が全くなく、配当という利子を受取りうる「元本債権証書」にすぎない株式を所有する原告に対し、「会社財産の分数的所有証書」と同様の評価を認める本件通達は、合理性を欠き憲法一四条に違反するものといわなければならない。

2 適用違憲について

仮に、評価通達一八八条(2)が憲法一四条に違反しないとしても、本件のような明らかに不合理な結果を生来する「同族株主のいる会社」で「中心的な同族以外の株主」が「取得後の持株割合が五%以上」の場合に本件通達を適用すること自体憲法一四条に違反するものといわなければならない。

また、評価通達一八八条(2)自体が憲法一四条に違反しないように解釈するとすれば「中心的同族以外の同族株主」の解釈について限定的に解すべきであると言わねばならない。何人も納得し得ない不合理な結果をもたらす「五親等」である上告人に対して、配当還元法を適用しないことは、同通達の解釈を誤ったものと言わねばならず、到底、合理的な正当な評価といえない。

要するに現行の取扱い通達を基本的に前提とする場合においても、本件の上告人に対して配当還元法を適用しないことは、著しく正義に反し、違憲といわざるを得ない。

3 原判決の憲法違反、理由不備、理由齟齬について

原判決の引用する第一審判決は、評価通達一八八条の(2)の五%基準について合理性を「一応」肯定できると判旨しながら、

「そして、既に説示したとおり、持株割合五パーセントをもって区分することは一般的な合理性を有するものということができ、純資産価額方式も株式の資産価値の評価方法としての合理性を有すると解されるから、右通達の取扱いが個別的に不当となるというためには、右基準によった場合の評価額が「時価」を超え、これをもって財産の価格とすることが法の趣旨に背馳するといった特段の事情が存することの立証が必要というべきである。」

と判旨する。

しかしながら、右五%の基準もしくはその適用が憲法一四条に違反することは明らかであるが、原判決としても「一応」肯定できるとする基準を「一般的合理性」にすりかえているものでこの点で、理由不備・理由齟齬がある。

以上

(平成一〇年(行ツ)第一九一号 上告人 上山英志)

上告人の上告理由

一 雪谷税務署長の更正決定を是認した原審は、日本国憲法一四条に違反している。

二 事件について

1 事件名「相続税更正処分取消等」

2 事件の争点「本件の争点は相続の対象となった大日本除虫菊株式会社の株式の評価方法についてであり、右株式以外の財産の評価は争わない。」(一審第一回口頭弁論調書 弁論要領 原告)

3 雪谷税務署長の主張「更正処分」通り。

4 原告の主張「相続税の更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分をいずれも取り消す。」(一審 訴状 請求の趣旨)

5 大日本除虫菊株式会社株式の更正決定による評価額格差。

〈省略〉

三 上告理由

1 判決文は「次に控訴人は、裁判所が関与した遺産分割の結果に基づく他の相続人との不均衡を問題にし、これに基づく日本国憲法一四条違反を主張する。しかし、その主張によれば遺産分割は家庭裁判所、高等裁判所の審判、決定の手続をへたというのであるから、その自体公平にされたことは制度上明らかというべきである(甲第二〇号証の一、二、甲第二一号証によってもこれに反する事実は認められない。)。そして控訴人については、たまたま既に同一会社の株式を有していたことから、右のような遺産分割の結果、取得した株式と合わせると、課税の前提としての資産評価上、S1+S2方式によることが合理性を有するとされたものであって、他の相続人との間にその主張のような不均衡があるからといって、課税上著しく公平を欠くということは出来ない。」(二審一一頁四行目から一二頁三行目)と述べている。

2 判決文は「課税の前提としての資産評価上、S1+S2方式によることが合理性を有するとされたものであって」と国税庁が「合理性を有するとされた」のを無批判にそのまま是認している。しかしながら、本件に、判決文にある国税庁「相続税財産評価に関する基本通達の一八八(2)、同一八八―2」を適用することには、何らの合理性もない。原審でも本件に同通達を適用することの合理性の説明はなされていない。会社の経営に関与していない中心的同族株主以外の同族株主の保有株数が五%未満と五・四七六%で株式の評価額が三三倍も違ってくることは、課税上著しく公平を欠くと言える。経営者から見ても、比率が僅かに違うだけで実質的な価値は同一のものである。

3 判決文は「会社経営への影響力の有無の判定基準として民法上の親族であることがどれだけ実質的意味を有するのか、六親等内の血族すべて同列に扱うべきかについては議論の余地があるところである」(一審三五頁一行目から三行目、二審同)と述べている。

4 民法第七二五条は、昭和三四年七月七日、法務省民事局が「本条は、配偶関係、血族関係及び姻族関係以外に親族関係という特殊の法律上の身分関係を設定するかのような誤解を生ずる恐れもあるということで、一応本条の規定は削除するのが適当である」(甲第一〇号証 法律時報・昭和三四年八月一日号掲載)という見解を公表した。国税庁でも「会社経営者から見て親族関係が薄いと認められる四親等以下の血族」(乙第五号証 資産評価企画官情報第三号昭和五三年四月二四日三頁(2)文中)と認識し、条件を付け課税上の是正措置を取っている。一方で国税庁は、相続税法に「親族」について特別の規定を設けないから、民法第七二五条を課税上の「親族」とする。しかし、親等制限をしている多くの他の法律を例にとるまでもなく、「親族」の社会実態からは、掛け離れており、そのまま適用することに妥当性はない。上告人は会社経営者から見て五親等である。会社の経営に関与していない中心的同族株主以外の同族株主で四親等の保有株数五%未満が配当還元方式で評価され、五親等の保有株数五・四七六%が原則的評価方式で評価される。本件では、後者は前者の実に三三倍の評価を受けている。三三倍の評価を受けることの合理的な理由もなく、明らかに課税上著しく公平を欠くといえる。

5 判決文は、「また、個別的には五%という区分基準が合理性を欠く場合があるとしても、一般基準を定立した場合にその内外で僅差で基準の内外に分かれた事例において不平等感が残ることはやむを得ないものというべきであって、」(一審三七頁六行目から九行目、二審同)と述べている。

6 判決文では「区分基準が合理性を欠く場合があるとしても、一般基準を定立した場合にその内外で僅差で基準の内外に分かれた事例において不平等感が残ることはやむを得ない」とするが、日本国憲法の前文で「主権が国民の存することを宣言し憲法を確定する」とあり、主権者は国民である。通達を作成した国税庁は「国民のため」の行政機関であり、「合理性を欠く、不平等な通達」であっても国民は従わなければならないという根拠は存さない。雪谷税務署長が前記通達を本件に適用したことで、何ら会社の経営に影響を与えない実質的に同一の株式九三〇〇株で、一方が一五五、七〇九、九〇〇円、他方が四、六五〇、〇〇〇円と評価されることになった。これは、租税負担の公平を欠き平等原則に反し、憲法一四条に違反している。

以上

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